社長あいさつ
Greeting
お客様の理想を現実にする私たちの家づくり
こんにちは間中工務店、代表 間中清美(まなか きよみ)です。工務店の経営者が女性と言うと、少し驚かれるかもしれません。
私が代表務める間中工務店は、茨城県坂東市にある祖父の代から続く地域密着型の工務店です。
子供の頃から、工務店の娘として育ってきたので、職人や家を建てる仕事には慣れ親しんでいました。
けれど、理系の大学に進学し、卒業後は薬剤師として働いていた私がこの仕事を継ぐことになるとは、正直なところ夢にも思っていませんでした。
私が工務店を継いだのは、私なりの決意と家づくりへの思いがあったからです。
「これから家を建てるご家族を応援したい」
「同じ女性として、子供を持つ親として、家事が楽しくなる家づくりのお手伝いがしたい。」
「笑顔で暮らせる家を建てて、理想の暮らしを実現してほしい。」
今、こうした思いを胸に抱き、日々、真剣勝負で仕事しています。
健康と、家事、お財布に優しい家のご提案。
工務店の代表であるとともに、薬剤師でもある私はお客様から健康について相談を受けることもあります。私は、いつも健康にいい家と、家事が楽しくラクになる家、お財布に優しい家をご提案できるよう努めています。そして、ご家族の中でも特にご自宅で過ごす時間の長い、奥様にとっての使いやすさを考えています。
「掃除や、洗濯がラクになる。」
こうした女性目線での家づくりは、家族みんなの笑顔のためにも、とても大切なことだと実感しているからです。
「家は3回建てなければ理想通りにならない」と言う言い伝えがあります。つまり、それだけ理想の家づくりをかなえるのは難しいと言う事。そもそも、自分にとって、そして家族にとって、何が本当の理想なのかよくわからないと言う方も多いですね。
だからこそ、私たち家づくりのプロは丁寧にお客様のご要望を聞き出し、経験に裏打ちされた確かな技術でその家を建てる責任があります。
「家づくりはワクワクする楽しいもの」
たくさんの希望、夢、叶えたいこと、実現したいことが詰まった幸せの象徴なのですから。
ご家族みんなが、笑顔で幸せに暮らせる家づくりを実現して欲しい。
心からそう願っています。
日本の家ってすばらしい
~亡き父(おじいちゃん)へのレクイエム~
先日、市立図書館へ行くと「コンクール作品募集」をしていた。
子供の宿題の本を借りるために出かけたのになぜか私の目線はこちらに釘づけになった。
なぜだろう、むしょうに応募したくなったのだ。
そしてすぐに頭の中にテーマがでてきた。気が付くと夢中で文章を書き始めていた。
この作品を今は亡き父に捧げる。
祖父と父への思い
私の家は、祖父の時代から大工をしていた。
建てさせていただいた方からお話を聞くと祖父は腕のいい大工だったようである。
最近それを実感したのは、祖父が建てた家が古くなったので建て直したいと言われ一昨年父と私で新しい家を建てさせていただいた。家を建てさせていただく信用というのは何十年か経ってからわかるものなのだなあと感心させられた。
また、父も娘の私がいうのもとても気が引けるがとても腕のいい大工だった。
去年カレンダーを配りに家を建てさせていただいた家に行くと、そこの奥様が、「家のひと(旦那様)は口が悪いけど、間中大工さんのことはいつもほめるんだよ。腕がいいって。」そこのお宅ではリフォームを、知人にお願いしてやってもらったそうだがその時に「この家は誰に建ててもらったんだい?」と聞かれたそうで「何でですか」と答えると「腕がいい大工さんだね。ぜんぜん家にくるいがないからユニットバスもサッシもピタッとはまったよ。」と言ったそうである。
これを父に伝えると、いつもはあまり大げさに喜ばない父も嬉しそうに微笑んでいた。
この家は父が建てた家で築30年は建っている家である。
父は堅実な仕事をいつもしていたのでそれが証明されたようで私は父以上に嬉しかった。また父は晩年、孫が喜ぶようにと神社建築を手がけた。そこには父の名が刻まれ父は孫が大きくなったらこれを見せろと言っていた。
今度子供たちに見せようと思う。この神社はこれから百年は父が建てたまま残るだろう。子供たちがまたその子供に見せるだろう。その父が今年の7月18日に亡くなった。まだまだ教わりたかったことがあったのに残念だ。でもきっと父はこう言っているだろう。「おれは27歳で父親を亡くした。おまえは今まで俺がいただろう。充分だ。」と。
家族はとても悲しく辛いが、父の建てた多くの家を見るたび元気がでてくる。
父に少しでも近づけるようになりたいと思う。そして祖父、父の仕事への姿勢を子供たちに伝えたい。
娘と息子への思い
私には、2人の子供がいる。
小学生の中学年になった二人は、楽しそうに学校に通学している。
この2人は生まれたときから、父(2人にとっては祖父)と一緒に住んでいて、特に下の息子は小さいころから、建築現場に父といっていたことから、大工という仕事が好きなようで、父にトンカチや大工の七つ道具を買ってもらって、ウサギ小屋などを一緒に作っていた。私たちが3人姉妹だったこともあり、息子が生まれたときは、55年ぶりの男が生まれたと、大喜びをしていた。1時間かけて木材市場まで10間もある鯉竿を買いに行ったほどである。
「孫」という歌があるがまさにあの歌詞通りの可愛がりようであった。2人にこの父を深く知ってもらうためにも3人で調べようと思った。
家造りの心
私は3人姉妹の長女である。
小さいころから、工業高校に行って建築を勉強するように父に言われたが、そのころ建築にはまったく興味がなかったことと、建築は男の人の仕事だと、小さいころから思っていたこともあり、あまり本気では考えなかった。
中学のころから理科や算数が好きで、病院に行ったときかっこよく働いていた薬剤師さんにあこがれて、そのまま薬剤師になった。
10年以上病院や薬局で働き自分でもきちんと仕事がこなせるようになった時、父が入院した。前のように父も元気がなくなり、私が仕事を一緒にやれば元気になるのではと思い、工務店の仕事をはじめた。
始めると、家を建てる仕事は思った以上に大変で、父がどうしてこんな大変な仕事を熱心にしていたんだろうと考えた。
お客様に建物を引き渡したときそれがわかった。
お客様の笑顔が苦労を吹き飛ばすのだ。そして、お客様の感動が自分の感動になり、また新しい仕事に向かえるのだということが、身をもってわかった。
家を建てることはほとんどの方が一生に1度の買い物で、私にとっては仕事の1部なのだが、お客様には、1度きりのこと。だから大工職人はプロの仕事を一生懸命にこなし、社長で棟梁の父は、お客様の要望にそって、さらにはお客様が感動するような家造りをしていく。
手を抜かず造り上げられた木の建物は美しく、強くそれが何十年か後にも、変わらずそこに住む人たちとともに歴史を刻んでいく。
家を作るのが私たちで、創り上げるのはそこに暮らすお客様、木の家は歴史を刻んで、どんどん美しくなっていく。
私が10年で父に教わったことを、1件、1件心をこめて家造りをしていくことが、亡き父への供養になればと今は思っている。
父がよく言っていた。
「木の家はいい木を使いメインテナンスをすれば30年でも50年でももつ。古くからの木造建築は何百年ももっているだろう。」
その通りだと思っている。
跡継ぎとして
先ほども述べたとおり、建築は男の仕事だとずっと思っていた私にとって、始めはつまらなく感じていた。
しかし、辞めてしまおうと思うと、私に家造りをさせようとする神様がいらっしゃっるのか、どんどん仕事が増え辞められなくなってくる。
とても不思議だった。
これは木の神様がいて、祖父や父の家を守りなさいと言っているのだと感じた。
悩んでいたらある人に言われた。「DNAはきちんと受け継がれているのだから、きっとむいているから続けなさい。」私は救われた気がした。
逃げるのはやめた。
父の偉大さに逃げていたのだったが、初めから上手くできる人はいないと思い直し、少しずつ頑張ろうと決意した。
それから父とともに一生懸命仕事を始めた。
とても楽しくなった。
建築は今や男の人だけの仕事ではないと仕事をやっていくうちに思い始めた。
その父が亡くなった今、さらに家造りへの思いは強くなった。
木の家大好き
父とともに家造りをしてきて今感じていることは、やはり日本人は、終の棲家は木の家なのではないかということだ。
私自身もそうだったように、最初新築するときは新建材を使った洋風なおしゃれな家や、RCなどのモダンな家を思い描く。
しかし、本当に安らげて落ち着く家は、木の家ではないだろうか。
日本建築の歴史が物語るように、日本人は、木造建築の中で暮らしてきた。それが、千年あまりも続いたのは、偶然ではなく、日本という風土や、日本人の気質が木の家が1番だと思ったからだろう。
なぜ木の家に魅せられるのか、子供たちと一緒にもっともっと考えたくて調べることにした。
「日本の家ってすばらしい~亡き父(おじいちゃん)へのレクイエム~」(2007年9月)より一部抜粋